1991年にノーベル平和賞を受賞した”国境なき医師団”
と書く私は、国境なき医師団の活動を知ったのは2015年。
開発途上国で助産師として活動したい!と思いネットで調べた時に知りました。
当時は、国境なき医師団かJICAボランティアかで迷い、母に「紛争地には行って欲しくない」と言われた言葉で、JICAボランティアに応募したのでした。
2019年、私は今でも国境なき医師団の活動に興味と憧れがあります。
そんな時に偶然Amazonで「紛争地の看護師」に出会い、購入。
読んでみて、国境なき医師団の活動がどんな環境や雰囲気、緊張感なのか理解でき、自分は本当に”国境なき医師団”に向いているのかどうか熟考する機会になりました。
そこで私のように内戦・紛争地での活動や特に”国境なき医師団”に興味ある人、応募するか迷っている人にオススメする本として「紛争地の看護師」をご紹介します。
本:「紛争地の看護師」国境なき医師団の現場を看護師の視点で紹介
概要
国境なき医師団(以下MSF)の看護師として2018年の出版までに9年間で9カ国17回の派遣を経験した著書:白川優子氏が書く内戦下の過酷な現場。
そこでの看護師の役割、看護師としてできることを書いています。
海の向こう側には、私がたちが目を覆い、耳をふさぎたくなるような現実がある。
多くの悲しい死、残された人々の悲しみや怒り、憎しみの涙がある現場に彼女は自ら赴きます。
「何もあなたがいくことはない」「日本だって救える命はある」では、誰が彼らの命を救うのだろう。
なぜ危険な国に自ら行くのか?
その答えが彼女の看護観と見て感じた経験とともに書かれている一冊です。
内容
著者:白川優子氏が看護師として数年働き自信がつき始めた1991年、
7歳の頃から憧れだった「国境なき医師団」(MSF)がノーベル平和賞を受賞した。
彼女は「今ならMSFに参加できるのではないか?」と意気揚々に、MSFの説明会に参加します。
そこで突きつけられたのは現実は言語という大きな壁。
それでも彼女は諦めず、語学留学をして、オーストラリアで看護師として働くほどに英語力が伸ばしたのです。
1991年から10年を経て、彼女は看護師として念願のMSFの一員となり、スリランカへ派遣されます。
そして3回目の派遣で初めて内戦状況にある紛争国イエメンに行くことになり、その後も様々な内戦状態の中での活動を経験。
そこで戦争被害者、内戦という現実を見ます。
昨日まで夢を追いかけ大学で勉強していた青年が、今日銃を持つ世界。
現地スタッフが勤務先の病院までの通勤途中で内戦に巻き込まれる世界。
どんなにたくさん患者さんを治療し命を救っても、戦争が終わらない限り患者途切れることのない世界。
日本だったら救えた命を見送る世界。
無力感に襲われた、と著者は言います。
また、銃で撃たれた銃創患者や空爆や砲撃などの爆傷患者さんが運ばれてくる現場は、患者さんの命を守るだけでなく、自分の命も守らなくてはならない危険な場所。
時にMSFの医療テントのすぐ近くに爆弾を落とされたり、宿泊先に兵士が突撃してきて殺されると覚悟したり、撤退か活動続行かの瀬戸際の環境にいることもあるのです。
そんな自分の命を守るだけで精一杯の中、多くの人の命を守り、さらにみんな外国人という異文化と言葉の違いの環境下、数ヶ月間の活動をする彼女は何をそうさせるのでしょうか。
彼女は私たちが決して得る事のできない貴重な経験と見た事から人として看護師として多くの気づきを得て、私たちに多くのメッセージを投げかけてくれています。
著者の紹介
看護師免許を取得後日本の病院で働き、その後オーストラリアに留学、現地の看護師免許を取得して、オーストラリアで約5年間働く。
その後、ずっと忘れることができなかった「国境なき医師団」に応募、2010年より派遣される。派遣国はスリランカ、パキスタン、イエメンシリア、南スーダン、フィリピン、ネパール、シリア、イラクと多岐に渡り、9年間で9カ国17回の派遣を経験している。
この本をオススメする人
MSFに興味がある人、現場の様子を知りたい人にオススメします。
また、国際協力を目指し、中東やアフリカでの内戦の状況が知りたい人にもオススメです。実際に数ヶ月間滞在し内戦下の市民と近いところで情勢を見ている彼女だからこそ伝えられる臨場感が伝わります。
印象に残った内容
「帰国したらまたいつものように実家の冷蔵庫には私の好きな納豆とキムチと明太子で埋め尽くされているに違いない」
心配と不安の中、日本で帰りを待つ家族の気持ちが伝わってくる一文。
きっと今、私が国境なき医師団に応募したいと行ったら、夫や母は心配ながらも「あなたがそうしたいなら応募してみな」って言ってくれると思います。その家族の心境を考えたら感謝という言葉しかでてこない。
家族の張り裂けそうな不安を知りながら派遣される後ろめたさはあるかもしれないが、そんん家族が待っていてくれるから、派遣先でも頑張ろう、生きて帰ろうと思えるのだと思いました。